津軽民舞踊・尾原家会
津軽民舞踊の歴史といしづえ・・・色あせず・・・ 今もなお・・・現代に伝える尾原家会(おはらやかい) 
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〜初代 尾原家萬次郎 プロフィール〜

明治32年4月20日、青森県北津軽郡鶴田町字尾原の農家、
棟方家の三男・棟方万次郎として生まれる。
(父・棟方福太郎、母・くり)
貧しいながらも、民謡好きな家庭では、
妹・三上つるが歌手、その夫・三上多市は踊り手という、
芸能一家の家系であった。

万次郎は、12歳にして借子(奉公)に出され、
農家の働き手として重労働に追われた。
しかし、大好きな踊りに夢中になり、農作業の合間に
手踊りの研鑽・練磨を積む。

ところが、小遣銭にも事欠き、
師匠への謝礼が支払えなかったため、
師匠から出入りを差し止められる。
その折、一念発起し、自ら「こっけいカッポレ」を編み出し、
昭和初期には一座を組んで、
北海道・東北をはじめ、全国を巡業。
やがて、「こっけいカッポレの尾原家萬次郎」と、
その名を不動のものにした。

万次郎は、津軽の唄にパット花開く傘、
命があるがごとく舞う扇子を
取り入れた踊りを工夫し、
手踊りをより一層華やかなものとした。

後に、プロの踊り第1号として後進に道を拓き、
津軽の手踊りを今日の隆盛に導く基礎を成した。
まさに、プロの踊り手としての功績といいえる。

万次郎は、大正末期から昭和中期まで活躍。
津軽民謡会の草分的存在てあった
歌手・原田栄次郎、成田雲竹、今重造、浅利みき、
津軽三味線の名人・白川軍八郎、
木田林松栄らと全国を巡業し、
妻・ちせの歌声に乗せて舞った。

その格調高い名人芸は、軽快かつ華やかで、
全国の民謡ファンを魅了し、絶賛を浴びる。

民謡界発展のために尽力したその功績は、
後世に語り継がれることだろう。

実力だけがものをいう世界を生き抜いた万次郎は、
昭和40年11月16日、故郷で妻子や弟子たちに看取られて、
惜しまれながら67歳の生涯を閉じた。

踊り三昧の幸せで華やかな舞の生涯であった。


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